そして、時間が過ぎ、炎は消えていきます。
消えていくものを見ることは、消えていった者をもう一度無くす行為。
つらいことのようですが、この炎の意味を知ると知らざると、はかなく消え行く姿は、様々な姿を投影されていたと思います。
参加メンバーの寄稿より
お炊き上げ終了後、別の場所にて追悼玩具花火、神楽、太鼓乱打等が行われ、皆さんが其方に移動し護摩壇結界も取られ、炭になり寂しく小さな炎をあげている檀の横で一人寂しくたたずむお若いお母さんでしょうか、女性の姿を見ていると人の死、それも思いも寄らない震災の死を熟々考えさせられました。
ポツリと一人の女性が「もう消えるのですか、この火無くなってしまうのですか?」
と言葉をかけてこられました。
「はい。もう暫くしますと消えてしまいますし、無くなります。」
「でも、この暖かさ気持ちは何時までも何時までも皆様の心に残ります。」
と涙ながらに言うのが私の精一杯の言葉でした。
今回いろんな所で私達のメンバーが色んな方にお声掛け頂き、それぞれに僧侶として、また一個人としての言葉を話されたようですが、、供養とはこれなんだと痛感したとメンバー全員話しています。
追悼、絆、明日へ、それぞれにテーマを込めた鎮魂祭が全て幕を閉じました。
このたびの鎮魂祭に関わってくださった皆様全てに感謝いたします。
この日の花火の如く被災された皆様の心が明日へ大きな花を咲かせますよう。
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