午後からは、角田町婦人支援センターで同じく、炊き出しと、足湯をさせて頂きました。
だんだん手慣れてあっと言う間に準備完了。
こちらの施設には、今まで物資を配ったことがありましたが、実際に避難している方々と
ふれあうのは、初めてでした。
足湯を始めた頃に、小学生がみんな帰ってきて、「私もしてもらう!」
今回は、なんと三才から九二才のおばあちゃんまで、たくさんの人が足湯を経験して下さいました。
小さい子は、こってるところが無いから、反応もイマイチかな?と思うと、アロマの香りや、会話に夢中。
それから、今回三重県から参加してくれた、木田師と我が友師隊の多門師がサッカーボールを蹴り始めると、子どもたちと一斉に仲良くなれました。
足湯をしていると、子どもたちが、「なあなあ、おっちゃんら泊まって行ってよ!」冗談かと思ったら、周りの大人や、おじいちゃんおばあちゃん達まで、「あそこの部屋なら、この人数寝られるんでね」
などと相談を初めてくれたのが、とても嬉しかったのですが、宿もとっていたので、お断りすると、
本当に残念がって下さいました。
おいかけっこしたり、氷をぶつけ合ったり、本当に楽しい時間を過ごせました。
友師会一同、汗だくで、そうめんに足湯に、子どもたちとのふれあいに満足させて頂きました。
四時間ほどの滞在でしたが、本当にこっちが満足してどうする?というほど、楽しく、笑いの絶えない支援活動となりました。
2011年7月14日木曜日
友師会 第五回 支援活動のようす その1
7月11日~13日の3日間の日程で、山元町にお邪魔いたしました。
今回の目玉は、素麺流し。
中央公民館の水の使用許可が下りたので、竹を持ち込み、素麺流しをさせてもらいました。
いつものとうり足湯もさせてもらいましたが、その中の会話で一同ビックリ!
流し素麺という物を食べたことが無い方ばかり。
宮城県のこの辺は、うーめんというのが一般的で、素麺はあまり食べないそうで、
しかも、流水で流れてくる麺を食べるシステムが無いのだそうです。
流れてくる素麺を、一生懸命捕まえて食べようとされるので、お箸を立てて、引っかかったぶんをすくって食べるんですよ。と言うと、「そうなんですか」
忙しすぎて写真を撮るのが追いつかないくらいの勢いで、皆さん食べて下さいました。
足湯の方も、たくさんの方が来て下さって、いろんなお話をして下さいました。
梅雨が明けて、浜風も心地よく、和やかな時間があっと言う間に過ぎていきました。
2011年7月4日月曜日
友師会 (播磨、島根、三重)青年教師会合同 第四回支援のようす その3
物資配送、足湯隊、イチゴ農家の瓦礫撤去作業と3部隊に別れてそれぞれの作業場所に移動しました。
これは足湯隊。
中央公民館で足湯隊と、高野山カフェを行いました。
前回、前々回の支援活動も、この中央公民館で執り行なったので、たくさんの人が、覚えていて下さいました。
足湯の後は、高野山カフェでお茶とお茶菓子をお接待。
みんな、終わった後もゆっくりとくつろいで下さいました。
たこ焼きしてくれたよね~とか
トマトくれたお坊さん達でしょ!など、今までの活動の手応えをしっかり感じることが出来ました。
2011年7月2日土曜日
友師会 (播磨、島根、三重)青年教師会合同 第四回支援のようす その2
物資搬入後、山元町の真言宗智山派 明光院さまで、物故者の追悼をさせて頂きました。
震災一ヶ月目に伺わせて頂いたときには、たくさんの御遺骨が並んでいましたが、身元不明の方も少しずつ判明し、その数が減っていました。
一同真剣に、それぞれの想いを胸に経を唱えました。
現地対策本部、弘法寺でに常駐しすでに2ヶ月以上走り回っている、藤井真澄師も参加下さり、
被害のひどかった坂元駅でお勤めをさせて頂きました。
初めて現地入りした、各青年教師会の面々は、言葉も無く、静かにその風景を目に焼き付けていました。
己の無力さを感じながら、亡くなられた全てに祈りを捧げ、願わくは思いが届かん。と一心に手を合わせました。
友師会 (播磨、島根、三重)青年教師会合同 第四回支援のようす その1
第三回の支援から二週間、今回は、いつもの友志会のメンバーだけでは無く、播磨青年教師会、島根青年教師会、三重青年教師会の僧侶と合同で、支援活動をさせて頂きました。
友志会が、いつも行かせて頂く山元町に、各地の青年僧侶が連携して下さいました。
いつも10人以下で現地入りしますが、今回は24名!
物資も、播磨の寺院、その檀家様、ご縁があって支援してくださった皆様のおかげで、たくさん運び込むことが出来ました。
梅雨のさなかの暑さは、長い避難生活をおくる方々に重くのしかかっています。
今回は、現地の要望もあり、蚊取り線香や、防虫スプレー、タオルケットや、Tシャツなどの夏物衣料、そして前々回好評だった生野菜を保冷車を使って運び込みました。
山元町役場。ここに物資の集配所と、中央公民館があります。
一時400名を越えて避難されていた、中央公民館も、200名ほどになり、テントや自衛隊の車も減っています。
震災後、重機や自衛隊の車が、懸命の作業を続けておられた坂元地区。
現在では、ほとんど大きな瓦礫の撤去作業が終わっています。
あちこちに、梅雨の雨がたまって、池が出来ていました。
地震で緩んだ地盤はくずれやすく、梅雨の雨は、二次災害の危険を呼んでいます。
津波に流されなかった家屋も、屋根にブルーシートを載せた家が目立ちました。
山元町もまだまだ立ち入り禁止区域が多く家の修復がいつになるか、目処も立っていないと現地の方がお話しされていました。
瓦礫で一杯だった海沿いの風景は、緑が増え心が痛くなるような風景が、少しずつ変化しています。
現地の方に「雑草は強いですね」と言うと、「雑草だけじゃ無くて、あちこちとんでもないところに、トマトやカボチャが生えてるよ」
流された畑のどこかに種があったのか、自然と生えているそうです。
被災地は、暑い夏を迎えます。
2011年6月15日水曜日
友師会 第二回支援活動のようす その3
三日目は、災害の爪痕も生々しい、南三陸町にはいり、現地の様子を見た後、
海に向かい、犠牲者の追悼のためお勤めをさせて頂きました。
人々の積み上げたものが一瞬にして奪われたこの風景を皆無言で心に刻み込みました。
なにができるだろう、なにをすればいいのだろう。
心の中で様々な思いをめぐらせ、南三陸の町を見つめる事しかできませんでした。
想いをそれぞれに心に秘めながら、今は穏やかな
南三陸の海に向かいました。
友師会 第二回支援会議のようす その2
2日目は、坂元地区避難所での足湯。
一般の足湯と違い、高野山真言宗の寺院が、近年の災害のたび行っている足湯隊の作法に則り、
足を湯につけていただきながら、手当と傾聴を行います。
傾聴は、信頼関係が出来ていない中では、なかなか難しく、心の垣根を取り去ってもらうための、足湯と、手当。
手と足をほぐすうちに、ぽつりぽつりと言葉をひきだし、傾聴していきます。
地元兵庫の千種温泉の水を現地に持ち込み、たくさんの人に足をつけてもらう事が出来ました。
友師会 第二回支援活動のようす その1
5月に行われた第二回支援活動の様子。
前回と同じく、山元町に入りました。
今回は、被災されたイチゴ農家のビニールハウスの後片付けをさせて頂きました。
新しく建てたばかりのビニールハウスが無残な姿になっています。
イチゴを植えるための砂地に覆い被さった土砂を、運搬車に乗せ、他の場所に移します。
山元町の一般ボランティアの方といっしょに作業をさせて頂きました
友師会 第一回支援活動のようす その4
被災者の方からいただいた折り鶴。
まだ幼いお孫さんが現在入院中の病床の中、折ってくれた小さな小さな折り鶴。
炊き出しの最中に声をかけられ、お礼と共にいただいた折り鶴。
友志会の一同感謝の念で心が一杯になりました。
友師会 第一回支援活動のようす その2
現地風景。
言葉もありません。
山元町の坂元地区の避難所での炊き出し風景。
被災された皆様に温かい食べ物を!ということでたこ焼きの屋台をそのまま現地まで運びました。
東北では、たこ焼きはお祭りの日ぐらいしか食べないそうで、懐かしい!と言って下さいました。
本職のたこ焼き屋さんが三名同行してくださったので、味も保証付き。
少し肌寒い中温かいたこ焼きをたくさんの皆様に食べてもらえました。
友師会 第一回支援活動のようす その1
播磨友師会が結成されたのは、3月末から、未曾有の大災害に見舞われた東北地方の様子を見ていることしかできない、己の無力と、阪神大震災を経験した兵庫県の僧侶として、
当時全国から受けた恩を行動をもって返したい気持ちからでした。
夢前町 真楽寺を拠点として、活動が始まりました。
第一回は4月24日~28日に実施されました。
トラックに、播磨の友志会員から集まった物資を大量に積み込み、炊き出しのため
大阪のたこ焼き屋さん三名も同行してくださいました。
宮城県山元町での物資運び込み作業の様子
震災1ヶ月後と言うこともあり、余るような物資を持ってもいけないということで、現地と密に連絡を取り合い、必要とされる物資を現地に運びました。
被災された寺院で物故者の慰霊をさせて頂きました。
たくさんのお骨が現地の被害を物語っています。
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