2011年12月22日木曜日

友師会 東日本大震災第8回支援活動 その2


12月19日 東田で足湯が行われているあいだに、別働隊が湯浅イチゴ農園へ。
上の写真が東日本大震災1ヶ月目。
ここの泥かきやハウスの撤去作業のお手伝いを何度もさせていただき、「12月にはイチゴが出来るから必ず食べに来てね」とおっしゃってくださいました。


現在の姿。
だいたい同じ位置から写真を撮っています。
津波後の絶望的な姿が、ここまで復興されています。
なみなみならぬご苦労があったことと思います。




ハウス内。
山元町は、イチゴ農家で生計を立てていた方が多く、どこも復興に向け様々な努力を続けておられますが、なかなか難しいようですが、つやつやのイチゴが希望を見せてくれています


たくさんのイチゴの白い花がこれから実を結んでいきます。


ハウスの中は暖かいのですが、外は雪の少ない山元町といっても薄雪がちらり。
気温も0度。



ここの泥かき隊だった会員達がイチゴをいただきました。
口に運ぶと、少し堅く、「すっぱいのかな?」と思ったら凄い甘みが!
津波から9ヶ月。
冬の宮城県山元町で一足もふた足も速い春の味を楽しませていただきました。
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2011年12月21日水曜日

友師会 東日本大震災第8回支援活動 その1

12月19日、20日第8回支援活動が行われました。
今回は、宮城県の仮設住宅東田地区で足湯をさせていただきました。
東田の仮設集会をお借りして、震災当初、私たち友師会が、山元町に入るきっかけを作ってくださった、中川純子さんのミニコンサートも行われました。

今回の足湯は「ゆず湯」
会員のお寺の庭になったゆずを持参しました。



ゆずの香りを楽しんでいただきながら、仮設の生活のお話を聞かせていただきました。
長い避難所生活と比べると、ずいぶんと改善されたとの話に安心させてもらったり
すでに、孤独死が近くであったお話も聞かせていただきました。
山元町付近は、もともと東北でも特に雪の少ないところだそうで、これまでは降ったとしても数センチ。それも昼までには消えてしまう位だったそうです。
山間の地域の避難所と比べると、日当たりも良く昼間なら、暖房はそんなにしなくても大丈夫とのこと。
大根や白菜、様々な作物をつくったり、それを漬け物などに加工して楽しんだ日々が戻ってきて欲しいとたくさんの方がお話しされていました。

足湯と同時に、お茶会をしながら、ユニット「ニライカナイ」のミニコンサート。
中川さんは、現在宮城在住ですが、ギターの弁天太郎さんは西宮から駆けつけてきてくださいました。


優しい歌声で、クリスマスソングや、りんごのうた、ふるさとなど、お年を召したかたにも解りやすいニライカナイオリジナルソングなど、心を込めて歌ってくださいました。
「志を果たしていつの日にか還らん」ふるさとの歌詞を聴いていると、一緒に見させていただいた友師会のメンバーも、住み慣れたふるさとから仮設住宅暮らしをされておられる皆さんと同調して胸が熱くなりました。
改めて音楽の力を感じさせていただきました。

その2につづく
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現地からの手紙 (坂元ダイスキ鎮魂祭)


里山の木々も葉を落とし雪の便りとともに冬の訪れを感じるこの頃です。
高野山友師会の皆様にはお変わりなくご活躍のことと存じます。
過日の坂元ダイスキ鎮魂祭には皆様による慰霊の供養、小滝上げをしていただき本当にありがとうございました。
準備から多くの皆様の協力を得て当日を迎え、会場の周りに並べられた卒塔婆の数に改めて犠牲になられた方の多いことに驚き、又、皆様が手分けして書いてくださったことに感謝の気持ちで胸が熱くなりました。燃え上がる炎に手を合わせ二十三名もの僧侶の方々が唱えるお経に涙を流しながらの供養となりました。


山伏の方々の吹くほら貝の響きは心に染み渡り、無念の思いをぬぐい去ってくれるようにありがたいものでした。
初めて体験するお焚き上げは感動と感謝の気持ちで、皆さんが口々にありがたいね良かったねとの声が多く聞かれました。
このような心のこもった内面的な支援は生涯忘れることは出来ないでしょう。本当にありがとうございました。もっと早くにお礼を申し上げるべきところ、今頃になってしまい申し訳なく思っております。
鎮魂のメッセージ花火もたくさんあり、涙涙の花火でした。
私たちも皆様に感謝の気持ちをこめて花火をお願いして上げさせていただきました。
人と人とのつながり、ご縁に感謝しております。

現地から友師会、倉本宛に届いた手紙を転載いたします。
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2011年12月5日月曜日

坂元ダイスキ鎮魂祭 (東日本大震災横死者慰霊塔婆お炊き上げ供養)その4


そして、時間が過ぎ、炎は消えていきます。
消えていくものを見ることは、消えていった者をもう一度無くす行為。
つらいことのようですが、この炎の意味を知ると知らざると、はかなく消え行く姿は、様々な姿を投影されていたと思います。


参加メンバーの寄稿より


お炊き上げ終了後、別の場所にて追悼玩具花火、神楽、太鼓乱打等が行われ、皆さんが其方に移動し護摩壇結界も取られ、炭になり寂しく小さな炎をあげている檀の横で一人寂しくたたずむお若いお母さんでしょうか、女性の姿を見ていると人の死、それも思いも寄らない震災の死を熟々考えさせられました。

ポツリと一人の女性が「もう消えるのですか、この火無くなってしまうのですか?」
と言葉をかけてこられました。

「はい。もう暫くしますと消えてしまいますし、無くなります。」


「でも、この暖かさ気持ちは何時までも何時までも皆様の心に残ります。」

と涙ながらに言うのが私の精一杯の言葉でした。
今回いろんな所で私達のメンバーが色んな方にお声掛け頂き、それぞれに僧侶として、また一個人としての言葉を話されたようですが、、供養とはこれなんだと痛感したとメンバー全員話しています。





追悼、絆、明日へ、それぞれにテーマを込めた鎮魂祭が全て幕を閉じました。

このたびの鎮魂祭に関わってくださった皆様全てに感謝いたします。

この日の花火の如く被災された皆様の心が明日へ大きな花を咲かせますよう。
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坂元ダイスキ鎮魂祭 (東日本大震災横死者慰霊塔婆お炊き上げ供養)その3

火が入りました。
檜葉からもうもうと上がる煙に驚かれたかたもおられたようですが、すぐに壇木が燃え始め落ち着いていきます。



お炊き上げの炎が煙とともに天に上がる姿は、人間の原始的な部分に訴えかける供養の根元。
参加してくださった現地の皆様の心が痛みを乗り越え、記憶を昇華してしてもらうための記号化の儀式。



数百人の焼香が途切れることなく続く中、それぞれの思いを胸に抱きながら炎を見つめ手おられる中、心経の声が響きました。



壇木が大きな炎をあげ、お亡くなりになられた方々が天にのぼる姿を観想し手を合わせました。

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坂元ダイスキ鎮魂祭 (東日本大震災横死者慰霊塔婆お炊き上げ供養)その2

11月5日16時。坂元ダイスキ鎮魂祭実行委員長の挨拶とともに、各行事が始まりました。

16時15分。いよいよお炊き上げがはじまりました。
法螺貝と、太鼓の音に合わせて、読経が始まりました。


法螺貝の音を聞きたくさんの方が集まってこられました。


1000本の塔婆とともに、無記名の300本の塔婆を用意し、誰でも供養させていただく旨を伝えると、10分ほどで300本が無くなってしまい、たくさんの方々が、それぞれに「誰か」を背負っておられること、その気持ちを形にすることを望まれていたことを実感するとともに、塔婆の数が足らずお断りせねばならなかった不備を悔やむこととなりました。


誰にでも解りやすい供養を心がけようと、計画から実行まで全ての段取りを進めてくださった、友師会メンバーの倉本師の案にのっとり、声に気持ちを乗せ若い僧侶も一心に拝みました。

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坂元ダイスキ鎮魂祭 (東日本大震災横死者慰霊塔婆お炊き上げ供養)


去る11月5日、宮城県山元町で坂元ダイスキ鎮魂祭が行われました。
行政指導の慰霊イベントでした。神楽、舞、坂元おけさ、とともに友師会の活動が許されました。
友師会の単独では無いので、日程も土日となり、いつも現地に行っていたメンバーが、そろわなかったのですが、愛媛、島根の青年僧侶が多数参加してくださり、二十三名の参加となりました。

初めて現地に足を運んだ方々と、津波の爪痕が残るJR坂本駅で追悼の読経。
震災当時の風景とは違っていますが、それぞれ巨大な津波の威力を目にし、手を合わせ鎮魂の心を整えました。


友師会の活動も、本山である高野山真言宗のサポートを得ることが出来、幅の広いものとすることが出来ました。


塔婆1300本、山元町と亘理町でお亡くなりになられた方々の名前を、友師会のメンバーで心を込めて文字を書かせていただきました。
この塔場を読経とともに炊き上げます。


高野山山林部より頂いた檜葉と杉の壇木を組み合わせ、塔婆を並べたものを9つつくりました。
参加者の寄稿より。
此所でも凄く思いが大きい事に気づきました。
本来学校内では火は使用できず。ましてグラウンドなどでは勿論の事、計画当初は駐車場近辺(学校裏)の許可を受けてたのですが、最終打合せにて、校長先生が「鎮魂祭、犠牲者の塔婆供養ですからお越し頂ける皆様がお参り出来る一番の場所(グラウンド)を使用して下さい。全ての責任は私が負います。」と言って頂けたので素晴らしい場所にて広く荘厳出来ました。

真剣な思いと真剣な思いが縦糸と横糸となり、形をなす。
本当に今までの活動全ての集大成の場を大きな心で応えていただけたような気がいたします。


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2011年11月7日月曜日

坂元ダイスキ鎮魂祭 準備 (第7回支援活動)



11月1日、宮城県山元町坂元地区で行われる、坂元ダイスキ鎮魂祭に参加させていただくことが決まり、友師会は、護摩供養執り行うことになりました。

東日本大震災で亡くなられた全ての方の鎮魂のために様々なイベントが用意されている中、僧侶として、慰霊をさせていただける!友師会一同このご縁をいただけたことに深く感謝しました。

そして、1400枚の卒塔婆をあらかじめ手分けして書くことになりました。(山元町と亘理町の犠牲になられた方のお名前を記しました。)



会員の知り合いから、たくさんの衣類や肌着の喜捨をいただきましたので、それらと出来上った卒塔婆、そして、護摩を焚くための壇木にするための薪を大量に現地に送り込むことになりました。


壇木用の薪
段ボール箱15箱分ありました。
これを、すべて燃やし尽くします。
兵庫県夢前町の工芸家具「みんぐ」の岡真市さんのご協力で壇木を作っていただきました。
ありがとうございました。


梱包作業中。
前回マイクロがバーストした苦い経験もあり、物資は引っ越し便で、一足先に送ることとなりました。




卒塔婆1400本と衣料品段ボール6箱分もいっしょに送ります。

今回は支援より慰霊がメイン!
今までの人のつながりが、花を咲かせたような気持ちです。
島根県と愛媛県からも若い僧侶が「参加したい!」と申し出があり、今回は23名の参加!
でも、ずーっと裏方で現地に行けなかった友師会員もたくさんおりました。

されど!現地に行かなくても出来るのが、ご供養。
遠い播磨の地から留守番になるメンバーも、現地に思いをはせながら発送作業をしてくださいました。

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2011年10月25日火曜日

友師会 第六回震災復興支援 その3


東田地区の仮設住宅団地の公民館で東日本大震災横死者追悼法要をさせていただくことが出来ました。いままで現地に入っても、被災者の方とご一緒に追悼の機会を持つことはありませんでした。
いつも、友師会メンバーだけで海や、被災地でお経を上げておりましたが、今回東田地区の方からお話があり、実現しました。

横死者とは、津波、地震で亡くなられた方のみならず、震災の影響で命を無くされた方全てのこと。
家族を亡くされたショックや、長い避難生活の心労、持病の悪化などで亡くなられた全ての方に祈りを捧げることが出来ました。



家族を亡くされた方、友人を無くされた方、親戚を亡くされた方。
本当にたくさんの方々が、心にふたをして前に進もう、前に進もうとされています。

しかし、過ぎたことを考えないように前へ進める方ばかりではありません。
無理をして考えないように、自分の心の傷口を見ないで前へ進むことは大きな負担となってしまうこともあります。



祈りは無意味ではありません。

亡くなった方々に何かしてあげたいけど何もしてやれない想いは、心の穴に膿をつくります。

心の穴をゆっくりとふさぐため、家族を亡くした方々の重荷を取り払うために、「もういない誰かの後生の幸せ」を祈ることは大きな意味を持ちます。





亡くなられた皆さんが、今は苦しくない安らかなところに居る!
そう考えることが生きている人の心の苦しみを和らげ、また亡くなった魂も残した家族をあの世から安らかな気持ちで見つめることが出来ることこそ真の供養につながります。

全ての行事の後、東田地区の方から、今回の支援をきっかけに、声をかけてもなかなか集まらなかった仮説の人が初めて一体になることが出来ました。との言葉をいただきました。
今回参加できなかった友師会メンバーも本当に暖かい気持ちにさせていただきました。

本当にありがとうございました。

次回支援は、11がつ4.5
また、山元町にお邪魔いたします。





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友師会 第六回震災復興支援 その2


10月頭とはいえ、すでに東北には冷たい風が吹き始めています。
衣料品も今度は冬物が不足しています。

足湯も外でやるのは、難しくなるであろうと思いますが、まだこの時は日中暖かく

支援物資の配布のようす。

コンニャクやおまんじゅうを配らせていただきました。
仮設住宅に移ると基本的に食事など自費になるため(食事配給がない)、仮説に移ってからも生活は向上しているわけではありません。

お米なども不足しているそうです。



芋煮会。
たくさんの人が参加してくださいました。
にぎやかに、芋煮を食べながらみんなで歓談。

この芋煮会。結構全国で取り入れているところもあるそうですが、大きな費用もかからず住民同士の交流を図る良い手段だと思います。



この芋煮会を教えていただいて、実現できたのも、足湯の語らいのなか縁を結べた現地の方から。

嬉しいご縁が、花を咲かせてくれました!

その3につづく

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